どうでもいいことを淡々と書いて見る

迷えるオヂサンの日常生活を書いてみた.

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死にたいと思うとき考えること

齢50になって一歩一歩死に近づいているという実感を感じるようになった。子供まだ小さいし、結構な額の借金もある。不健全で不健康な生活を続けた自覚もある。なので、割と自分に取って死は身近な存在であろうなぁと思う。

白洲次郎の父親、白洲文平は晩年大分県直入郡荻町という阿蘇山麓近く・・・というほど近くはないのだけどそこに洋館を建てて過ごした。準備がいいことにベットの下に棺桶を置くぐらいの準備をしていたそうな。これには諸説あるが、どうも文平は体が大きかったため、あらかじめ用意していたという話がある。この時代の人でボン大学に留学、事業家としても成功しているわけでそれなりの人物だったであろうと思う。ボンは、今行けば小さな街だが選帝侯宮殿と呼ばれる学舎はなかなか見応えがある建てもだった。

タイトルだけを見ると自殺願望でもある様に見えるかもしれないが、それは全くない。どちらかというと明日死ぬかもしれないから今日後悔しないように日々生きようと思う思いが強い。この歳になってこういうことを思う様になり、哲学の師である吉田夏彦先生と議論したいと思う次第。残念な事に先生は、2020年にお亡くなりになられた。最後にお会いしたのは、2017年の5月だったと思う。当年の1月に「論理と哲学の世界」の文庫本が再発刊されたのでサインを頂いたのが最後だった。

マルティン・ハイデガーは、「死を意識するからこそ、人生は輝く」という言葉を残してる。輝いているかはわからないが、少なくともいやなことはやらない、やりたいことはやるはかなり徹底していると思う。言い方を変えると死を考えることは、潔くなることと同時に自分の心と向き合うことになったと感じる。故に自分の考えを従って生きることを始めることになる。ただ、考えを他人に押しつけてはいけないことも悟った。押しつけてしまったらただの老害である。人は、老いるとこうも変わるものかを何人も見てきた。晩節を汚すという言葉は、こういうことかもしれない。

そう、死にたいと思うときに考えることは、どういう死に方が一番いいか。理想をいうと寝ている間に脳梗塞だろうと脳溢血だろうと、大動脈瘤破裂・・・これは血管が痛覚を持っているので目が覚める恐れがあるだろうけど、致死性不整脈でもいい、なるべく人様に迷惑をかけず、ぽっくりと逝きたい。日本は安楽死が認められていないのでこのあたりがめんどくさいが、自分で筋肉弛緩剤をエピペンの様に打ってだんだん死にゆく感覚を感じながら「そうか、これが死というものか」という一言をつぶやいて死ねたら本望だと思ってる。ただ、畳の上で死ねるほどまっとうな人間で無いことのでどうなるかは明日の話かもしれないし、50年後の話かもしれないが。